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25年前... [MEMORY]

40代後半、3Fの屋根裏部屋をオーディオルームとする新居を建てる事が出来た。建築基準法のため2面が50cm程の壁で挟んだ1角から急傾斜の天井を持つ約18畳の正方形の部屋だった。対角の天井高はおよそ3M程有り部屋全体がフロントロードホーン状態となる、必然的に低い方のコーナーに納まるSPが合理的だ… ので、低いコーナーに納まる様な箱を作る、
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FW-405を250L程の特大ダブルバスレフに納め外側に向け、その内側に正面を向く様に三角柱の2WAY、ユニットは大分試行錯誤を繰り返し、最終的にFW168/FT27Dを組込む事になった。これが以外と良く鳴ってくれた。当時は未だ定在波等の定義なぞ知らず、指揮者の息づかい迄聴けるのはその三角の箱が定在波を削減し、クリアな再生に寄与していたのか… と、その後のオーディオ誌の記事で納得する事になる… 更に試聴席左右にFE106Σを上向きに付けた箱を配置、SPマトリックスの設定がオーケストラの再生には有効だった… 
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機器はサブウーハーとマトリックスSPに、MX-2000、メインの2WAYにはエレキットTU-873を組立、球をWE300Bに替え、C-2Xに繋げる… この構成は伊豆に移住迄の12年間続いた…

デジタルの風 [MEMORY]

1980年代、一戸建てに住める事となる…  
ギャング達にも縄張りを与える事が出来、12畳程のリスニング?ルームも持てる事となり、オーディオの封印も解かれた…
当時オーディオ界にはCDが登場し、デジタルの風が吹き始める… スピーカーとプレーヤーは変らずだが、オーディオセットにはCDプレイヤーが加わり、アンプはプリ、パワー、にグレードアップされる、映像界ではBS衛星放送が始まり、TVでも音の良い音楽番組が試聴出来るようになる。その部屋にはAV機器も加わり音楽享受時代が到来。そこにビデオカメラ&大画面TVが加わり何時の間にかAVルームに変貌していた。
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SONY EV-S900 Digital 8 Deck

DATと同等の音質で最高12時間(120分テープ)の録音が出来るとの事で、ワグナー等のオペラモノやLP等の保存用に使用していたが、今は段ボール一個分程のカセットを置いて行方不明?  この時代Digital技術発展の陰で消された規格や機器は多数あるが、メディアの場合は残された子供(記録)も生きていけない。

アンタッチャブル !? [MEMORY]

70年代、実家の2階に20畳程のワンルームをを増築しリビング兼オーディオルームとした、SPは100L程の市販箱にテクニクスの38cmウーハーEAS-38L100+.EAS-18KH01.ツイーターの2WAY. アンプはビクターのプリメインJA-S9とチューナーJT-V9. プレーヤーもビクターでJL-B44+SHURE.V-15Ⅲ. と云った顔ぶれだった。
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JL-B44.JPGeas-18kh01.jpgeas-38l100.jpgCT-4040.JPG
のだが… 1年程でオーディオ活動はキビシイ事態に追い込まれる…  その時迄ベビーがギャングに変身するとは思いも及ばなかった。 そのギャングは怖いもの知らず、しかも好奇心旺盛… 目の前に回転する物体と曲がった棒とくれば見逃す筈は無い… 抜く手も見せぬ早技だった… レコードにはキズ!カートリッジの針はポッキリ……!! これはマズイとプレイヤーの蓋、スピーカーのネットはテープで封印され、その後、二人目、三人目のギャングが出現すると、もうオーディオや音楽何処では無いのだった… 
カセットデッキが普及し始めたのが丁度その頃... そこで、パイオニアCT-4040の卓上型デッキを調達… その後の10余年はFMエアチェックとヘッドホンでお茶を濁す事となる… だが、カセットも油断は禁物… 引き出されたテープがトグロを巻いている事もシバシバだった。

前科一犯....? [MEMORY]

結婚を期に親と別棟の家に住む事となり、八畳のリビングにシステムを組込む事が出来た…お祝いとして、友人知人にアンプ、プレーヤー、SPボックス等を供出させ、リスニングルームを構築した…
その後、機器は何度か入れ替わり、システムに巨大な平面バッフルSPが登場する事となる。
21mm、サブロクの合板4枚を繋ぎ、壁から30cm位離し、鎖で天井から吊るされた、それに白い布を張り、当時流行のサイケ調のヌード画で仕上げた… 見かけは壁一面を覆う壁画だ。(イメージ)
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使用ユニットの型番は忘れたが、秋葉原で調達のコーラルの20cmフルレンジと無名ツイーターの2WAYだったと記憶する… アンプは山水のレシーバーTAC-505. プレーヤーはCECのターンテーブルを自作箱に収めたものだった…と思う。
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これが評判で(聴きに来たのか、見に来たのか?)、度々友人知人が視聴に訪れていた… のだが…
それから2年後、このシステムはそれ迄に集った100枚程のレコードや全ての家財と共に焼失してしまったのだった… ”失火罪”と云う罪を伴って… 40数年前、正月明けの寒い日のサムイ話です… 

BRAHMS PIANO CONCERT No'1 [MEMORY]

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昭和30年代の横浜、西口商店街を抜けた先には、まだ空き地があった…
そんな場所にポッンと一軒の名曲喫茶があった。(たしか古城だったと思う)
時々、音友と学校帰りに溜っていた… 
その頃は、五大交響曲がどうとか三大協奏曲はこうとかで、音楽雑誌から得た情報が主で、大した知識も持ち合わせていなかった。
ので、この凄まじい出だしの曲が店内に流れた時、凄い!この交響曲はと思った…  しばらくして、ピアノが鳴り出しても、これがピアノ協奏曲だとは気付かず、カウンターで確認し、初めて、ブラームスの”第1ピアノ協奏曲”と知ったのだった。
つまり、当時この曲が三大○○、五大○○では無く、ラジオでもあまり聴く事が無かったので、そこに居た音楽通?誰もが、この曲を知らなかったのだ。
ちなみに、当時の五大ピアノ協奏曲はショパン、グリーク、ベートーベン、チャイコフスキー、ラフマニノフだったと記憶する。(ブラームスの第1交響曲やバイオリン協奏曲は五大○○に入っていたと思う)

EMIL GILELS . EUGEN JOCHUM / BERLINER PHILHARMONIKER http://youtu.be/_vK3lckRsMg
この曲もLP,CDで何枚か或るが、出だしの凄まじさは、この”1番”が1番と思う…

東横線 [MEMORY]

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高校時代は東急東横線での通学だった… 通常は徒歩,電車.徒歩で合計約40~45分の通学だったのだが、緊急時(遅刻しそうな時)はバス→綱島、急行→横浜、バス→学校で、5~10分は短縮出来た、(3年目にはホボ毎日が緊急時だった)
それはさておき、菊名→横浜間は約10分程あった為か、満員の車内にメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が流されていたのを思い出す…
それが誰の演奏だったかは不明だが、私のレコードラックにはこのディスクが在った。

http://www.youtube.com/watch?v=hGsn__0L488&feature=plcp

大学時代 [MEMORY]

大学時代、モダンジャズ好きの友人がいた.....。新宿、渋谷のモダンジャズ喫茶(通称ダンモ)通いが始まる…新宿では友人の知り合いが働いていた”DIG”そこそこ広い”木馬”朝まで居れた”汀”渋谷では好々爺が経営の”ブルーノート”がいきつけだった。

当時はジャズ喫茶、歌声喫茶、名曲喫茶、美人喫茶、同伴喫茶、色々あった……

ジャズ喫茶(ダンモではない)といえば、新宿のアシベ…当時の若手ポップシンガー,広田三枝子、中尾ミエ、等々がライブ出演していた、ジャズ喫茶は池袋、渋谷にもあったが名前は忘れた。

運悪く?通学路が渋谷、新宿、池袋経由なので…それ迄集めたLP、機器類はどこかに売り飛ばされていたのだった……

FM放送始まる.... [MEMORY]

高校時代、NHKでFM放送が始まった、早々に秋葉原でFMチューナを購入、アンプとスピーカーは自作だ。真空管アンプはラジオ雑誌の部品表と図解(回路図は理解不能)で何とかヤッツケた、SPは16cmの安いユニットを購入、ラワン材(当時は合板等無かった)で作成した。屋根にアンテナ線を張りスタンバイOK....。
当時のFM放送はほぼ音楽番組専用で特集モノが多かった,ここでブルックナー、マーラー等初めて聴く事が出来た、これ等の長時間モノは番組作成上全曲を放送が難しかった為か(LP1枚に収容出来ないのでレコードもあまり無かった)又、モダンジャズの世界もここで知る事になった…

STEREO [MEMORY]

ステレオレコードが発売されたのは高校1年の頃だったと思う、学校行事の”日展”見学の会場のロビーに
”ステレオ電蓄”が置かれていた…日本ビクターのデモだったと思う、その音はまさに別次元のモノだっ
た。
我が家には、長兄の某電気メーカー就職に依りソレが導入された、高2の時だったと思う…
とは言え当時ステレオレコードの価格は3,000円以上もして小遣い2,000円の身には手の出るモノでく、
もっぱらモノラルの廉価版LPが書棚を埋めていた…大学に通い始めた頃には、兄の結婚と共にステレオも
我が家から差っていった。

きっかけ.....? [MEMORY]

中学生の頃、ラジオに繋ぐLPプレイヤーがあった、大学に合格した長兄への報償だったと思う。レコードは25cm盤で、兄がギレリスが弾く”チャイコフスキーのピアノコンチェルト”を、私はEP盤で”エルガーの威風堂々”が最初のレコード購入だった…25cmLPが1500円、EPが700円、程だったと思う、当時の物価水準としては、かなり高額な買いものであった。
ので…(これも兄が購入したと思われる)確か ”交響曲の世界”だったと思うが、2巻の本が有り、是で夢想することで、レコード購入の代りとしていた。
この頃、NHKがラジオの第1と第2放送を使ってステレオの実験放送が始まった..友人とラジオを持寄って,感激して聴いていたのを思い出す…

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